振り向くとき、自然に顔がほころんだ。
きっと子犬もここに居るんだ、それなら自分も大丈夫だと。
は自分の視界に入るだろう子犬の姿に、そんな期待も込めていた。
「だれ・・・?」
の期待は自身を裏切った。
そこにいたのは可愛らしい子犬ではなく、いかにも『俺たちゃ下っ端悪い奴ゥ〜♪』と安っぽいBGMがつきそうな、数人の男達。
こんなパターン、フィクションでしかない。
こんな笑えない冗談見たこともないし、生涯見たくもなかった。
漫画とかドラマとかでよくある話。
・・・けれどこのままいけば確実に、知っている展開が待っているはずだった。
逃げなければ
明らかに色めき立った男達を目にした瞬間、の脳裏をよぎった。
けれど、身体が言うことを聞かない。指先さえ動かない。
男達が近づいてくる。
あとずさることも出来ない。
(動け、動け、動け!!)
必死にそう念じたが、やはり足も手も動かなかった。
1人の手が伸びてくる。
・・・もう駄目だ、思ったそのとき、その男の足が落ちていた枝を、踏み割った。
パキン
それがスイッチだった。
強張っていたの身体は本来の働きを取り戻し、男の手を蹴り上げる。
そしてそのままスタートダッシュ。
陸上部にお呼びが掛かったほどのの脚力、並の奴に追いつかれる気はしない。
もそれを十分知っていたけれど、油断は禁物、走り続けた。
いや、ああいう悪い下っ端というのはどこにでも潜んでいそうで、怖くて止まれなかった。
(やばい、ほんとに・・・何処よ!!)
さっきの男達の服装、何か違和感を覚えた。
違うのだ、の普段着と・・・の周りの男達が着ている、服とは。
叫びたくなるのを必死にこらえて、走った。
何処を走っているのかなんて分からない。
正直、分かりたくもない。
もうここがどうだっていい、そんなこと、あの男達から逃げ切ってから考えれば済む。
がむしゃらに林の中を突き進んで、の身体は次第に傷だらけになっていく。
木の枝に引っ掛けた小さな傷が主だったけれど、それも多くなるとじくじくと痛む。
そして今度こそ、運動不足の代償が顔を見せ始めた。
時折の膝はガクンと力を失って、そのたびには自分の身体を叱咤した。
追いつかれてはいけない、捕まったらどうなるか。
の知る限り捕まったヒロインは、大抵その場で襲われるか売られるか。
どちらもまっぴらごめんだった。
誰が捕まるもんか、は小さく呟いて、身体の上げる悲鳴を無視した。
「っうそ、ついて無さすぎ!!」
先回りされていた。
きっとこの林は男達の庭。
後ろには、まだ諦めずに追いかけてくる数人。
前にも立ちふさがる貧弱だけれど嫌な顔をした男。
最後に男相手に喧嘩したのは一体いつだったか憶えているはずもなかったけれど、はその頃のように奥歯をかみしめた。
「・・・司馬懿殿、あれを」
「ん・・・何だあれは、野蛮この上ない」
「奇妙な格好はしているが、一応娘ですな。追われているようですぞ」
司馬懿は、わざわざ馬を止めて名を呼んだ張遼の指差す方向を見た。
ずいぶん離れていたが、確かにそこには、物凄い速さで走りながら賊相手に般若の形相で接近する女の姿があった。
・・・しかしあれは、本当に女か。
実は山姥の若い状態なのではないかと思った。
見れば女の後ろには、まだ数人の賊の姿。
「ち、面倒だ。気晴らしに来たと言うのにこれではロクに休憩も出来ん」
「何を言っておられる、助けにゆきます・・・ぞ、し、司馬懿殿!!」
張遼にしては珍しく、大声を上げた。
何事かと思って司馬懿が振り返ると、さっきまで女の前に居たはずの男の身体が浮いて・・・いや正確に言おう、吹っ飛んでいた。
そして女といえば、確実にみぞおちに喰らわせたその蹴りを収め、体勢を整えなおしてまた走り始めた。
あ、あれの正体はやはり山姥か?!
司馬懿がそのはしたない女に呆然としていると、こっちに来ます、と張遼が言う。
見ると、女は一直線にこちらへむけて走ってくる。
司馬懿たちに気付いていないのか。
(・・・あれ、もしかしてあいつらの親玉?馬乗ってるし、それっぽい!!)
先回りしてきた男を飛び蹴りでのしたは、やっと自分の前方にある2つの影に気付いた。
見るからに立派な衣装を着けているし、何と言っても馬が決定的だった。
左側は髭を生やして、生真面目そうな鋭い顔つき。
しかし右側が大問題で、ヒョロヒョロとした体格に青白い顔に釣りあがった目、暗くよどんだ目の下。
奴が親玉で間違いない。
ついに決戦のとき!!とばかりには馬上の病人を視界へ真っ直ぐ入れなおして、あとはもう気合の問題だった。
「覚悟しろ親玉、
ライダーキィィィィィック!!!!!!!
」
「なっなにをす
グェホッッ
!!!」
「しっ、司馬懿殿!!!」
悪者に追われているヒロインには、必ず救いのヒーローが現れる。
しかし今のの頭に、ヒーローの存在は無い。
回転しながら高く跳び上がると、病人の胸板へ向けて力の限り・・・
旋風脚だ
!!
断じてライダーキックのレベルではない!!
これはかなり効く。
元々高度であるがゆえに強力な蹴り技である旋風脚に、プラスの脚力そして病人とくれば、ノックアウトは確実だった。
あえなく病人は馬から叩き落され、ゲホゲホと咳き込む。
しかしに気遣っている暇は無い。
何故か?だって奴は悪者だから!!
自信満々に横を駆け抜ける。
そして地面に突っ伏して必死に耐えている病人もとい司馬懿のどちらを相手にしたら良いものか。
張遼は一瞬の逡巡のあと、ヤバンなヤマンバもといを追うことにした。
しかし油断していてはこっちまでやられる。
ここはいまや戦場だと自己暗示に頼って、張遼は馬の首をへと向けた。
馬なら確実に追いつける。
真横へつけて、あの凄まじい蹴りを巧くいなして娘を止める。
(うぇっ、あの強そうなほう、追ってきたァァァ!!)
後ろから急接近する髭面の生真面目そうな強そうな男もとい張遼に気付いた。
これが普通の精神状態で居られようか、はほとんど錯乱に近かった。
いくら足が自慢のでも、馬と勝負できるはずが無い。
すぐに追いつかれて張遼はの真横へ。
ここまで近づいてはあの蹴りも繰り出せまいと踏んでいた張遼は、しかしまたしても度肝を抜かれることになる。
この至近距離で大技を見舞おうとする娘がどこに居よう!
ここでもライダーキック改め旋風脚の体勢で跳び上がったを制するには、手荒な方法しかない。
「失礼致す!!」
「え、きゃ、なにっ。ちょ、放して放して、やだ食わないで売らないで殺さないでェェェ!!」
振り切る寸前のの足をつかみ、力の方向を捻じ曲げて鞍に落ち着かせる。
・・・実際には、落ち着いていなかったけれど。
後ろから抱き込んでしまえば大人しくなるだろうという考えも甘かったようだ。
とにかく落ち着けと、腕の中でギャンギャン騒ぐの肩に手を置いた。
「お静かに!!先ほど貴殿が蹴り落としたあの方も私も、断じて敵ではない」
「ほぇ、あ、そうなんですか?・・・っあぁ〜!!分かった、ヒーローだ」
馬に乗せられて味方宣言を受けて、なんとか冷静になったの脳みそに、やっとヒーローの存在が甦った。
そう、ヒーローは必ず遅れて登場してオイシイところをかっさらってゆくもの!
よく思い出してみれば、確かに女であるに蹴り落とされて涙ぐんでいる司馬懿の、なんとオイシイことか!!
芸人が見たらヨダレを垂らしてまで飛び付くネタだ。
「ひーろ・・・何だ?まぁいい、引き返すぞ娘!司馬懿殿の様子を見ねば、心配でならん」
司馬懿オイシイ!!!(はい黙る
ぶぶぶ、ぶんえんたまに後ろから後ろから後ろから抱きかかえられてしまった。(何回言うの
自分で書いてて動揺するくらいに文遠が大好きな私ですがなにか(…
しかしこれ、司馬懿弱すぎる。
まぁ走りながら強力な旋風脚をかますヒロインがまず人外なのですが(笑
・・・しかし「ヤバンなヤマンバ」って・・・ねぇ・・・。