「わたくしの名・・・で、ございますか?」
驚いた風に、女が言った。
女の怪訝な表情は、もちろん初めて見る。
否、抱くか寝るか以外の問答を女としたことが無かったと言う事実に、今更気付いた。
当たり前だ。
女を気に入り、気にかけながらも、俺は女に積極的に歩み寄ったことさえ無かったのだ。
女は、いきなりどうしたのかとも聞かずに口を開いた。
と申します」
女の声が紡ぐ女の名。
続けて聞き直したその家名には、確かな覚えがあった。
亡き漢室の王侯の血縁に当たる一族だ。
漢が潰えた直後に賊の襲撃を受け、独り生き残った姫。
名を聞いたことはなかったが、目の前に居る女・がその姫と言って間違いはない。
しかし、その姫は確か・・・。
は俺の考えていることを悟ったようで、困ったような笑みを浮かべた。
ああ、俺の記憶は間違いではなかった。
本能的に感づいた俺は、自分の胸が痛むのを感じた。


「お察しの通り、わたくしは、賊に一晩中玩ばれました。それも、愛する家族の無惨な死体を目の前にして・・・。
その折、あまりの嫌悪からか、わたくしの身体から子を成す機能が欠落したと医者に告げられ、
わたくしは、田舎の村に隠棲することにいたしました。
・・・そこへ、曹操様がわたくしを捜し求め、おいでになったのです」
自分が何人もの男に一度に犯されたことを、躊躇い無く口にするの姿は、痛々しいと言う他なかった。
俺は今までこんなに不幸な女を、何の思いやりも無く抱いていたのだ。
それも、まるで賊に輪姦された夜を思い出させるようなやり方で・・・。
こんな話をしたあとにそのまま抱けるほど、俺は人間をやめてはいなかった。

とにかくを下がらせることにした。
同情など、とは食い下がったが、聞き入れなかった。
主の言うことが聞けないのかと言うと、はそれ以上は何も言わなかった。
・・・口ばかりで、に何か情をかけてやったことさえ無いというのに、主などと・・・笑わせる。
俺は、今までに何をしてきた?
許されるはずも・・・許して貰えるはずも、無い。
かといって、を解雇することも出来ない。
今更が他の男の元で屈辱的な待遇を受けるなど、考えたくもない。
苛立つ頭を冷やしもせずに、横になった。


「どうだ元譲、良家の姫の乗り心地は?」
朝、城に出仕してきた俺に、孟徳が近寄って来た。
すでに文遠を伴っていた孟徳はニヤニヤといやらしく笑う。
文遠は言葉の意味に気付いたのか、ゲッと顔をしかめて、隣の孟徳を見た。
しかし実直なこの男も、ついにこの間妻を娶ったそうだ。
それも奥小姓の女。
なんでもその女も、の様な辛い境遇だったらしい。
婚礼の儀の折に見たその妻はなかなかに美しく、文遠がつい想いを寄せるのも頷けた。
しかし文遠は俺と違って、妻にすると決めるまで、手も出さなかったそうだ。
堅物の文遠らしいと言えばそうだが、俺には真似出来ん。
「朝っぱらからシモの話題しか無いのか、お前は」
とても孟徳の話に乗る気分にはなれない。
気丈に振る舞うものの悲痛なのあの表情が頭を離れなかったし、
がどんな想いで俺に抱かれていたのかが思いやられて、どうも落ち着かない。

「・・・それより文遠、奥方とはどうだ?」
無理な話の変え方だった。
いくらの話を避けたいからといって、他人の新婚生活にまで首を突っ込むとは・・・。
しかし文遠は嫌な顔をするでもなく、むしろにこりと微笑んだ。
この男でも、こんな顔をするのか。
そういえば妻を娶ってからと言うもの、文遠の強さに磨きがかかった気がする。
良い妻とは、やはりそういうものなのだろう。
俺もいつか、家で案じてくれる女ができるのだろうか・・・。
詰まらなそうな孟徳が離れてゆくのを見送る。
何故かその場に残った文遠が、俺の隣に陣取って歩きだす。
鬱陶しいわけでもなかったし、そのままにしておいた。
すると文遠は表情を崩さずに、突然口を開いた。

「元譲殿、誰か想い人でもおられるのか」

こいつの話はいつも唐突だ。
しかしその視線は極めて真面目で、ある意味孟徳よりやりづらい。
文遠に目を向けると、やはり今日も至極平常だった。
「そんなモンおらん。お前こそどうした。色恋に浮かれてきたか」
「冗談はよしてくだされ、可笑しいのは元譲殿でござろう。
少なくともいつもの元譲殿は、他人の生活に興味など示されなかった」
文遠の言うことは的確だった。
何か変なのは、俺の方だ。
の過去を聞いてからと言うもの、罪悪感は確かに増大していて、それは夜のように快感に変わりはしない。
声も上げずに俺の下で淫らな姿を晒すの痛みが、そのまま俺を責めている。
いくら子を成せんとは言え、女をあんな風に犯してはならなかったのだということを、今更ながらに知らされた。
しかも俺が毎夜そう抱いていた、その女自身に・・・。
いや、心の底では分かっていた。
しかし止まらなかった。
紳士的に見せ掛けた面の皮の裏側、奥底に在る魔がそうさせた。
あの美しい女を真実の意味で得たいと、一目見たときに思った俺だ。
しかし女が俺の奥小姓で、しかも妻になれるような者ではないと知らされた時に、その純粋な思いは間違った方向にネジ曲がった。

過去など知らん、知ろうともせん。
お前の身体も精神も全て、喰らい尽くす。
壊れるならば壊れてしまえばいい。
そう思って俺は、精を吐き出すただのイレモノとしてを抱いた。
夜ごと深まってゆく、汚く暗い色欲にだけ従順になった。
罪悪感が無かった訳では、無い。
ただそうするしか、俺の歪んだ感情を精算する方法が無かった。

「・・・そうなのかも知れん。俺らしくもない、どうかしているな」
自分を嘲け笑うしかない俺に、文遠はまた笑った。
「良いではありませんか、人を愛するというのも愉しいものだと思いますぞ」
クサイ台詞だ。
いつもなら寒気がするところだが、文遠が言うと似合っていて参ってしまう。
こんな正直に言われるともう駄目だ、敵わん。
少しバツが悪くなって、文遠と別れた。


の過去を耳にした日から、2月が経った。
あれから一度もを部屋に呼んでいない。
もそんな言い付けを守って、俺の部屋に近付かなかった。
溜まった時は全て自分で処理した。
女を抱けないというのは苛立ったが、他のつまらん女を代わりに抱くよりは、いくらかマシだった。
今日も今日とて独り寝だ。
寝台に横になろうとしたとき、俺の部屋の前を女官が通り掛かった。

「聞いた?あの奥小姓の姫様、倒れたのですって」
「あぁ、あたし部屋へ運び込まれるのを見たわ。なんだか青い顔で・・・心労がたたったのかしら」

奥小姓の姫様・・・青い顔?
たお、れた?

コソコソと話し合う女官を呼び止める。
突然俺が扉を開けた音に驚いたのだろう、女官たちは肩を震わせた。
「詳しく聞かせろ」


・・・目が、覚めてゆく気がした。








・・・張遼の台詞クッサ!!寒ゥゥッ!!
でもそれを平然と常用する張遼が大好きです。
この回でちょっと病的な惇の愛情が出てるとイイナァ・・・ orz
しかしなんかどんどん惇のキャラが崩れていく気が。
大人の男とゆうのは難しいです(笑)