が倒れた。
間違いなくそう答えた女官の話もそこそこに、気付けば俺は走り出していた。
迷うことはない、典医のところに行けばそれで。
しかし、足がもつれて思うように走れない。
・・・焦っているとでもいうのか、たかが小姓が倒れたというだけで。
しかし本当に女官の噂通り、心労によってだとするなら、それはまさしく俺の責任だ。
主人に抱かれるために雇われた小姓が、二月も寝屋へ呼ばれずにいた。
たかがそれだけのことで、周りの者達は不愉快そうにに接するようになっただろう。
あるいは、あからさまな嫌がらせを受けていたのかもしれない。


「典医、いるか!?」
やっとのことで辿り着いた典医の部屋。
思いの外大きな音をたてて開いた扉の向こうには、いつも通りの典医の姿。
全く変わった様子もなかった。

「どうなされました、そのようにお急ぎで。腹でも下されましたかな?」
軽口を叩いたその老翁が動い・・・いや正確には、右側にある薬箱へ歩んだ。
そしてさっきまで典医の体のあった向こうに、見知った女の姿。
寝台に横たえられて眠るの顔は、心なしか青白く見えた。
二月前まであんなにふっくらと美しかった肌もこけて、荒れているのがここからでも分かる。
ギリギリと締め付けられる、最悪の気分だ。
いまだ女を見ただけで、こんな気持ちになったことはなかった。
典医はそんな俺の様子に気付いたのか、腹薬を探すのをやめて、こっちへ向き直った。

「・・・殿、奥で少し話せますかな」

そう言った。
なんとしても話をするのだとしか、聞こえなかった。
正直、話など聞きたくもなかった。
が倒れたのは俺のせいだと、責め立てられるのが関の山だ。
しかし有無を言わせぬ典医の声が、許してくれなかった。
俺は導かれるままにを横切って、薬の臭いのたちこめる典医の私室へ入っていった。


「言ってみろ、一体何の話だ?」
扉を閉め、の眠る部屋を遮断した典医を確かめると、そう問うた。
いや、問わねばならん空気だった。
典医はゆっくりと向き直ると、やっと口を開いた。

の身体のことはご存知でしょうな?」
典医の声は静かだった。
いつものそれとは異質の、静けさ。
穏やかとは言い難いそのしわがれた声が、狭い部屋で厭に反響する。
是と、首を縦に振った。
すると典医は、表情を変えた。
を診た町医者も、その持つ医学も、全知ではありませぬ。診察結果も、自身の精神的問題とされておりました」
典医は、自らの商売道具とも言うべき医学を、否定して見せた。
確かに今の医学で明らかになることは、ほんの僅かだとは聞いたことがあった。
万能と称賛される医者にも、どうにもしようが無いことは山ほど、あると。
しかし、いつも医学を何よりの依り所としていたこの典医がそれを。
青白いの顔が脳裏を過ぎった。
「しかし、不妊の真偽を確かめる術は、まだ我ら人が持ち得るものではございませぬ。・・・ゆえに」
そこで言葉を濁した。
何を言いたいかは何と無く予想できた。
しかし長年信頼を置いてきた典医の奉ずる医学を信じるなら、そんなことは・・・。
いやだからこそ、典医は先にその絶対性を否定した。
完全なモノなど、ありはしないと。
そしてそれゆえに、例外も。


「おそらくは、殿の御子を」


予感的中、しかし真偽は定かではない。
吉報なのか否かも・・・いや、悪い、知らせだ。
結婚を拒んできた俺が今更、しかも強姦のように女を孕ませた?
そんなこと許されん。
にはただの貧血だと伝えてあります。・・・殿、どうか御熟慮を」
そう言って、典医は深々と礼をした。
・・・何を、考えろというのだ、俺に。

「・・・くだらん」
踵を返して、部屋に戻った。
その時に見たの顔は、やはり目に痛かった。


翌早朝、孟徳の使いがやってきた。
その差し出した書簡には、孟徳のここへの来訪を伝える旨が記されていた。
珍しく孟徳の自筆だったが、「飯食ったら行くから居ろよ」程度しか書かれていない。
もう少し気の利いた言葉遣いが出来ないものか。
しかしあいつにそんなことを言い聞かせてもどこ吹く風、見事に無視されてしまうのがオチだ。
とりあえず、待つことにした。
だがどうやら書簡にあった飯というのは朝飯のことだったようで、孟徳はすぐに家へ上がり込んできた。
今日の来訪も、どうせ急な思い付き。
たいした用事もないのだろう。
・・・ところが孟徳の吐いた台詞は、俺の予想を遥かに超えた。

「元譲、飽きたのならを儂に寄越せ」
「は?何を」

今、寄越せと言ったか。
「聞けばしばらく、部屋へ呼んでさえないそうだな?持ち腐れるようなら儂に譲れと言うておる」
孟徳の眼は俺を覗き込んでいた。
それはいつまで経っても逸らされることはなかった。
後ろめたい事など何も無いのだ、この男には。
こいつならをただの小姓として、少年と同じように扱えるだろう。
の過去が何であれ、知ろうが知るまいが、態度が変わることはまずないだろう。
しかしそれが最善だろうか。
・・・いや、俺に、とって。
もし本当にが俺の子を身篭っているとすれば、孟徳の小姓になどなれはしない。
堕ろせと強要されて、今度こそあの身体は壊れてしまうのではないか。

「女・・・を、譲るのは嫌か?」

・・・俺は、何を戸惑っている?
今までどれだけ女をないがしろにしてきた?
時には孟徳の女を抱いたし、その逆も然りだ。
俺の跡を継ぐ子が、その中に居るかもしれないからか?
否、解っている。
ただ、これ以上踏み込めずにいるだけだ。
どうしても世間体を気にしてしまう俺のものになったとき、あの女を傷つけてしまうのが、恐ろしい。
をやる気は無い。それだけならもう帰れ」
・・・孟徳を迷いなく追い返す。
しかしそうしながらも、俺は何か決着をつけられないでいた。
おもしろくない、そう言いたげな孟徳の顔は、無視した。

「・・・殿、なぜわたくしを孟徳様にお譲りにならないのですか」

孟徳が帰るのを拒むような声が聞こえた。
久々に聞く声だ。
見ると、まだ具合の悪そうな青白い顔があった。

何が言いたい。
自身は、俺よりも孟徳が良いのか?
感情が高ぶる。
どうしようもなく苛ついた。

必死にこらえて、口を開く。
「・・・孟徳の方が、良いと言うか」
はバツが悪そうに俯いた。

・・・俺は今まで何を、していた?

自分の願望をこれほどはっきり自覚していながらも、知らない振りをして。
ついに自身が、俺の元を去りたいと思うまでに。
それでもまだ、引き止めることもできない。
ただ一言・・・ただ少し、言えばそれで足りるいうのに。


孟徳の目尻が揺らめいた。
あいつがそうするとき、大抵はくだらん悪巧みをしている。
しかしそれが何だと予想する余裕の無い今は、止めることも出来ない。
、あいつはお前を誰にも渡したくないそうだ。いじらしい儂は身を引くとしよう」
そう言うと、孟徳はニヤリと笑っての肩に手を置いた。
なにがいじらしいだ、史上最悪の自己中心主義者のくせしおって。
・・・しかし、その俺様主義者が、俺の背を押したのには違いない。
去ってゆく孟徳の背中と、それを呆然と見送るのそれ。
どちらを引きとめ、抱き寄せるかなど、問題にもならなかった。

「え、ちょ、殿」
、お前は俺の・・・妻に、なれ・・・」

女をこんな風に抱きしめたのは久しぶりだった。
やわらかく、やさしく、いとしげに。
突然のことで、驚いて俺を呼んだを遮る。
わざわざの言葉を遮ってまで告げた俺の心は、やはり味も素っ気も無いものだった。
今まで数多くの女を抱き、その分だけ泣かせてきた。
もう女などちょろいものだと思っていた。

生まれて初めて、こんなに真剣に女に告白をして。
生まれて初めて、こんなに真剣に女を欲しいと思った。

「つ、つま?殿?」
「子を成せないというだけで屈折して、子が出来たやもしれんと知らされても、まだ踏み出せなかった。
俺の意気地の無さを許せ。しかしこれだけは頼む、俺の妻になってくれ」
「え、こ?子供ですか?」
余裕が無いゆえに、捲くし立ててしまう。
状況の飲み込めていないに、勢いだけで。

ゆっくりとの腹に、触れた。
まだ膨らんでもいないのに、何故か息吹が感じられる気がした。

「わたくし、に・・・子が・・・? ほんとうに?」
揺れるの声に、つられて涙腺が弱まる。
なんと愛しい・・・この俺の腕に収まる女の身体も、それに宿った我が子も。

、俺を夫と、呼んでくれるか」

きっと是と答えるのだ、この優しい女は。
しかし怖かった。
俺の今までの所業を取り沙汰されて、責められるのが。
もう誰に責められてもいい、しかしにだけは・・・。

「・・・嬉しい。わたくしに、殿のお子が。ああ、このまま時が止まってしまえば、いいのに」

は泣きながら、俺を抱き返した。
この上なく嬉しい言葉を。
力が抜けて、しかし嬉しく、幸福で。


お前は俺を恨んでなどいなかった、嫌ってなどいなかった。
ただ、抱かれないまま苦しい思いをするのは嫌だったのだと。
そう続けざまに暴露するを止めた。


ああそうか、お前はただ・・・。


もう一度、を抱きしめた。



その中に、確かに息づく俺との愛しい子ごと。








終わった!!終わったよママン!!(感涙
ラストはなんか分からんのですが書いてて涙が出かけました。ごめんなさいキモイです(知ってたよ
とゆうか・・・展開が早い・・・ですよね・・・orz
なんかもう最後は風雲急!!!!とゆうかんじにしたかったんですが
見事に今回も裏目に出たようでもう逃げるしかない。