翌朝、の部屋の戸が鳴った。
訓練場から帰って来た後、そのまま寝入っていたは、あわてて返事をした。
入ってきたのは、姜維。
「お早う。あの後、ちゃんと眠ったろうね?」
自分が訓練場へ行ったことを知っている姜維は、まずそれを訊いた。
が頷くと、満足げに笑う。
そして、きちんと片された黒塗りの弓に触れると、差し出す。
「"鷹隼黒帝"・・・この弓の名だよ」
「・・・ヨウジュン、コクテイ・・・?」
姜維の手から改めて渡ってきた弓を、まじまじと見つめた。
「黒帝というのは、五行説の水、北を支配する神のこと。そして、狙った獲物は決して逃がさない俊敏な狩人、鷹と隼。
人に譲った私が言うことではないけれど、大事にしてやって欲しい」
あまりに荘厳な名のついた弓は、の手の中で、戸から差し込むわずかな朝日に照らされていた。
「鷹隼、黒帝・・・」
もう一度、確かめるようにゆっくりと名を呼んで、は優しく弓身をなぞった。
美しい黒、両端に施された金色の細工、強い弦。
こんなに素晴しい弓、見たことも無い。
たち弓道部員が使っていた弓も、量産型ではないにしろ、この黒帝には遠く及ばないのだ。
「あ、それだけ言い忘れたなぁと思っただけだから・・・じゃあ、朝議もあるし、またあとで」
の様子を見て、これなら粗雑に扱われることは無いと悟ったのだろう。
姜維は嬉しそうに笑い、軽く会釈すると、部屋から出て行った。
そして黒帝を元の箱に戻したに、一つの言葉が浮かんだ。
「・・・朝議、か・・・」
小さく呟くと、は急いで部屋を出る。
そしてそのまま、井戸の方へ走っていった。
全て身支度を終えたは、姜維に借りた部屋着ではなく、制服を身につけていた。
もちろん今のに、制服以外の礼服が無いためだ。
何故正装する必要があるのか、言うまでもなく、は朝議の行われる広場へ向かう気だった。
しかしまさか自分から向かおうなどと思ってもみず、非情にも、の頭には、広場への道順が残っていない。
そこでは、丁度部屋の前を通った女官を呼び止めて、広場まで連れて行ってくれないかと頼んだ。
の記憶が確かなら、彼女は昨日、夕食を持ってきてくれた女官のはずだ。
女官は驚いて、しばらくを見つめていたが、急に大声を張り上げた。
「まぁぁぁああっさま、そのような格好で朝議にいらっしゃるおつもりですか!?
ちょっと誰か、さまが暴挙に出られる前に、手伝ってちょうだい!!」
制服という性質上、着たきりなのは仕方ないが、女官はそれを見逃してはくれなかった。
上着についたごくごく薄いシミ。
スカートのしわ。
そして後ろで適当に一つに束ねられた髪。
まぁどちらかと言えば・・・この時代で、公の場に出られる格好ではない。
女官の叫びに反応して、手の空いていた数人がすぐに集まってきた。
最初は不思議そうにしていたものの、最後には全員が"信じられない"といった目でを見ることとなった。
はひっぱられるまま、衣装部屋へ入った。
どうやらこの女官達の勢いからは逃げられない。
「ちょ、あの・・・できるだけ軽装で・・・いやほんと、普通の文官用のとかで・・・お願いします!!」
このままでは朝議が終わってしまう。
自分の服を剥ぎにかかる女官達に気迫負けしたは、慌てて叫んだ。
きれいに整備された石畳に並ぶ武将。
その周りの土の上には、同じ装備の兵長達。
劉備がのことを話すには、丁度良い場所だった。
劉備は朝議の最後に、が別世界から来たことを話した。
そしてを臣下として、この蜀に置くつもりであることも。
突然のダブルパンチに、兵たちが落ち着いていられるはずがない。
しかししばらくすると、全員が1方向を向いて静かになった。
劉備も目を見開いて、思わず椅子から立ち上がる。
視線の先には、1人の女。
女物にしてはあまりに簡素だが、上品な衣装に身を包んだ、だった。
髪も香油をたっぷりと使って結い上げられている。
後ろには、案内役を買って出たあの女官。
「突然の無礼、お詫びいたします。しかしどうしても、劉備様に申し上げたいことがございます」
道を開けるように脇へよけた武将たちから一直線、ひざまずくと、劉備がいる。
「私は・・・赤子の世話には慣れておりません」
突然何を言い出すのかと、全員が次の言葉を待っていた。
「料理などもってのほか。食材の前に、自分の指を切り落としてしまいます。」
そこまで言って初めて、ある4人が気付いた。
昨日の部屋にいた、あの4人だ。
はあの時の劉備の言葉を、ことごとく否定しているのだ。
しかしそれが分かったところで、が言わんとしている事までは分からなかった。
「学が無いというわけではありませんが、生まれてより18年、私が身につけた学問といえば、ここでは役に立たぬ物ばかり。
私が満足に出来る事と言えば、この身に染み付いた武芸のみでございます。」
元々勉強があまり得意ではない上、英語や数学、理科など、全く使えない。
自分が秀でているのが武の方で良かったと、改めてそう思った。
しかしそれも、この戦乱の世で、どこまで通用するかは分からない。
第一、自分に人を殺せるだろうか。
・・・それでも劉備の恩に報いる為には、これしかなかった。
そうだ、仕えるなら劉備・・・桃園3兄弟が良いと思っていた。
多少なりとも、希望通りの場所に来られたのだ。
そして劉備は"自分を臣下に"と求めてくれる。
なんと言う幸せ、そして光栄。
・・・もう決めたのだ、この王の為に、戦場に出ると。
「私を1人の武将として、召抱え下さい。さればこの、命のあります限り、蜀の戦女神であり続けましょう。」
あたしも、仕えるなら桃園三義兄弟がよかとです。
所属はやっぱ黄忠で(なんで)