孔明殿と月英殿の提案で、ささやかではあるが、宴が開かれることとなった。
伯約や子龍に引きずられて衣装部屋へ行ったものの、あの女と普通に接するつもりはなかった。
一体どうして、他の将たちは、急に現れた奇妙な女と馴れ合えるのか、気が知れない。
諸葛夫妻はあの女に、娘を見るような視線を向けておられるし、黄忠殿に至っては孫娘だ。
ほんとうに、みんな戦続きで、頭がイカれてしまったんじゃないのか。

「孟起殿、そんなしかめっ面で・・・折角の宴です、楽しまねば!」

酒の注がれた盃が差し出された。
あの女を中心にある人だかりから目を離すと、そこには関平がいる。
さっきまであの人だかりの中に居たはずだが、俺を気にして出てきてくれたらしい。
「・・・お前、悔しくないのか」
「え?」
盃を受け取って、呟いた。
水面が揺らいで、それを覗き込む俺の顔が消える。
「あんなワケの分からん奇天烈な女に、お前の義父が・・・軍神が、負けたんだぞ」
もう一度言って人だかりに視線を戻すと、あの女は心底楽しそうに笑っている。
あんな笑顔、演技で出来るはずが無い。
別勢力の密偵だとは、もう俺だって疑っていない。
しかし、気分は晴れなかった。
「悔しいと言うより、拙者はむしろホッとしています。義父上も、やはり人の子であったのだと」
少し照れたように笑った関平は、グイと酒を飲み干した。
"孟起殿は悔しいのですか"と問われても、"いや別に"と返すしかなく、どうして俺はこんな質問を、と今更ながら後悔した。


家13代目当主・、推して参る!!」
黄忠殿に貸し与えられた刀を手に、あの女は澄んだ声で名乗った。
家の名は知らないし、構えは見たことも無かった。
しかし13代目というのだから、かなりの名家なんだろう。
あんな小娘が、それほどの家を支えて歩いてきたのか。
確かにあの女の声や顔には、それだけの覇気が見て取れた。

あの名乗りの後、手合わせは始まった。
あの女は、関羽殿が偃月刀を振り上げるより先に間合いを詰め、刀を振り下ろしていた。
さすがの関羽殿も防ぐのが精一杯。
そして反撃を許さないかのように、次々と繰り出される斬撃。
すさまじい速さと、その細腕からとは思えない重さ。
偃月刀の柄が刃と交わり、悲鳴を上げる。

・・・あの軍神が、圧されていた。

周りの様子を確かめる余裕など、まるで無かった。
ただ目の前で繰り広げられる立ち回りから、目が離せない。
きっと他の武将もそうであっただろう。
少しのあいだ攻撃を受けて、実力の程が見えれば、そこで弾き返してしまえばいいくらいの心地で、俺は手合わせを申し出た。
この場に居る誰もが、そう思っていたはず。
しかし始まってみれば、あの女を馬鹿にしていた兵長達も、死んだように静かになった。
自分たちでは防ぐことでさえ出来ぬだろう攻撃を、ただ軍神の武器の音に聞き、彼らは緊張を隠せないでいた。
そして一瞬。ほんのわずか、隙ができた。
左脇腹のある一点。
ここまできてやっと出来た隙だ、これを突かねば、次の機会はいつ来るか。
軍神の刃が襲い掛かる。
しかし刀背打ちだった、当たっても死ぬことはあるまい。
小娘にしては、良くやったほうだ。


しかし次の瞬間に俺の目に飛び込んできたのは、あろうことか軍神の敗北。
あの女は関羽殿の偃月刀を踏み台に跳び、その肩へ降りた。
そのまま飛び越えて背後に下りるなら、武器を後ろまで振り切ってしまえばいいが、肩だ。
ある意味、背後よりやり難い。
そして滞空時間も、信じられないほど短かった。

・・・追いつけない。

刀は、関羽殿の首に、ヒタリと添えられていた。
鳥肌が立つ。
頭から一直線に、稲妻に貫かれたかのような。
あの女には、きっと呂布が憑いているのだ。
さもなくばこれは夢、夢だ。

「これにて」
あの女は関羽殿の方から飛び降りると、宙返りをしてもと居た場所に戻った。
短く言って礼をすると、黄忠殿に刀を返した。
今思えばその黄忠殿も、呆けていたように思う。
そして固まったままだった関羽殿が礼をしたあと、やっと周りの時が動き出した。


「・・・戦女神、か」
月英殿が奏でる胡弓の控えめな音色が、宴をつややかに彩っていた。
ここにかの美周郎が居れば、天下の重奏が聞けたことだろう。
酒に口をつけると、あの女を見た。
張飛殿に勧められた酒があまりに強いのに驚いたのか、目を白黒させて咳き込んでいる。
今のあの女に、朝方見た鋭い瞳は無く、声にも、気圧されるほどの強さは無かった。
酒にほんのりと白い頬を染めて大男達を相手に笑いあう姿は、ただの娘だ。

「ちっ・・・何をこんなに気にしてるんだ、俺は!!」
残った酒を一気に飲み干すと、関平がとなりで声を上げた。
俺の声に驚いたらしい。
そして関平によってもう一度注がれた酒も空にした。
そうだ、あの女が急に落ちてくるから悪いんだ。
だから俺は落ち着かないし、あの女がどうしても気になる。

「さぁ、それだけでしょうかね」

関平とはまた別の声がして、振り返ると岱がいた。
つい声に出ていたのを聞きとがめたらしい。
「どういう意味だ、岱」
「いいえ別に?それはそうと、優しくて良い娘でしたよ、は」
俺と似てはいるが、俺にはできない柔らかな表情をたたえて、岱は言った。
言葉のカケヒキというやつができない俺は、いつもコイツに敵わない。
「・・・しかし、あんなに武に秀でた娘が、まさか太平の世で生きていたとはね・・・」
岱は皮肉るように言うと、自分の盃に酒を注ぎ足した。
俺も、他の将も、岱と同じ事を考えていた。
大して武を必要とされない・・・むしろ疎んじられるだろう太平の世に、あのような女が、居た。
まるで戦う為だけに生を授かったような、天武の才を持った娘が。
あれだけの強さ、才能が、平和に埋もれていた。
あるいはこの戦場こそが、あの女にふさわしい居場所なのかもしれない。

「若も意地を張るのはやめて、素直になったらどうです?も困っていたし、仲良くした方が楽しいですよ、きっと」
「うるさい、余計なお世話だ」
プイと横を向くと、岱は"あぁ怖い若だ"と言って、関平を引っ張って、人だかりに混じっていった。
あいつはいつも一言多い。
そのくせ人に可愛がられるのだから、その点では尊敬に値する。

「・・・フン、何が素直になれば〜、だ!!」

瓶に残った酒を、一気に飲み干した。







馬岱の人物像はこんなかんじです。
黒い黒い(笑)