、いい老酒が手に入ったんだ。一緒に飲もう」
堤防の補修工事は無事終わり、日が落ちる頃には、全員が城に戻っていた。
湯浴みを終えて部屋で柔軟をしていたはゆっくり戸を開けた。
姜維が尋ねてきたのだ。
その姜維はニコリと笑って、酒壷を持ち上げた。
たぷん・・・と鳴った酒は、なるほど良い薫りがする。
姜維があとから"魚の骨のから揚げもあるんだ"と加えた。
そんな魅力的な誘い、断るほうがどうかしている。
は喜々として姜維の部屋に舞い込んだ。


パキン、と良い音がして、から揚げがの口のなかへ消えた。
そして酒に少し口をつけると、は歓喜の声を上げた。
旨い酒、うってつけの食い物と思い出話を酒菜に、2人はひそやかな酒宴を楽しんでいた。
思い出話といっても、姜維の事は本で知っているので、自然にのそればかりになる。

「兄と弟がいるんだけど、普通、男が家を継ぐわよね。なのにどっちも私より弱いの。信じられる?」
「あはは・・・すごいね。きっとが強すぎるんだよ。なんたって初陣で盲夏候を退けるくらいだから」
「そう、それ!いつも言われたの。おかげで私、女なのに嫡子にされた」

程よい笑いを誘って、は酒を注ぎ、姜維の盃にも注いだ。
そうすると、ことあるごとに催された酒宴の事を思い出す。
誰かが子を産んだだとか、死んだとか、入学、卒業、正月、誕生日。
毎年飽きるほどに酒を飲んだ。
門下生を集めたり、親戚中で集まったり、時には外国の武道家たちも招いた。
今の酒宴にしろ、今日の工事中にしろ、元の世界のことを思い出させることが多い。
・・・妙に、寂しくなった。

そういえば自分の居なくなった家は、誰が継ぐんだろうか。
あの優しい兄や、まだまだ子供っぽい弟に、そんな大役が務まるだろうか。
鼻先がツンと熱くなって、はそれを止めるように、酒を煽った。
その肩に、そっと姜維の手が重ねられたのは、すぐのこと。
が見上げた先には、控えめに微笑む姜維がいた。
「・・・無事城へ戻れたなら、そのときは存分に弱音を吐きなさい、私がずっと、すべて、聞いてあげようと言わなかったかな」
そう言って、長坂の戦の直前そうしたように、姜維はの頭をなでた。
しばらく姜維を見つめて呆然としていたの手から、まだ酒の残った盃が離れた。
転がり落ちた朱塗りの盃はカラカラと音を立てて、床をぬらした。
酔っているのか赤い顔をしたの目には、透明。
何か言いたげな切ない表情で、赤い唇が小さく動いていた。

「う、うぇ・・・伯約・・・わ、私っ・・・!」

物腰柔らかで優しい姜維は兄を。
長坂で見せた厳しさは父を。
いつも笑顔を絶やさない月英はもちろん母を。
ムキになる馬超は弟を。
同じ様に、この人のこういう所があの子に似ているだとか、そんなことばかりが頭に浮かぶ。

気付かないうちに随分と溜まっていた疲れとストレス、そして適度な酔いと冴えた月。
人を感傷的にさせるのに、これ以上の好条件があろうか。
もちろんも例外ではなく、好き勝手にぼろぼろと落ちる雫に戸惑う余裕も、声を抑える余裕さえ皆無だった。

怖かった、辛かった、寂しかった。
本当は、たまらなく不安だった。

優しく背を撫でてくれる姜維の胸で、のうちに沈んだマイナスの感情が、まるで砂山の崩れるように、サラサラと消えていった。
「・・・は本当によく頑張った。誰もが真似できることじゃないよ、胸を張って良い」
子供の様に声を上げて泣くの肩を抱いて、姜維はやっと口を開いた。
が何かをやり遂げたとき、母は、兄は、そしてあの厳しい父は言葉に出さずとも、褒めてくれた。
あの家族を離れてなお、同じ様に自分に賞賛の声を向けてくれる人がいる。
嬉しかった。
震える声で、小さくうなずいた。
その反応に満足そうに、姜維が両の手をの背に回した。
指で梳いた黒い髪は細い絹糸のようで、滑らかだった。

「・・・怖かったね、けれど」
小さな子に言い聞かせるような、優しい、暖かい音色で、姜維はつむいだ。
これより先どんなに辛いことが起ころうと、けして泣かない為に、今その分まで泣きなさい。
そう続く。
の数倍は辛い別れを経験してきた姜維の言葉だけに、ひどく重く感じた。

「でも今回の様に溜め込むのは良くない」

さっきと正反対のことを、舌の根の乾かぬうちに。
が見た先にある姜維の顔は、自分の矛盾に気付きながら、しかしそれもどうでも良いと思わせてしまえる、
そんな表情だった。
「なら、私にどうしろって言うの」
が言うと、姜維は笑った。
きっとそう聞かれるのを待っていた。
心なしか満足そうな色が現れる。
そしてにも、姜維の今から言うことは、大方分かっていた。
それは恐らく、が今、1番望んでやまない言葉。
2人は、言葉などまるで意味の無い意志の疎通を、わざと声という手段を用いて、試みていた。
まわりくどい問答を、楽しむように。

「私の部屋には、いつも旨い酒を備えておこう」
「なら、もしその時は、私が酒菜を」

馬超や張飛などがこの会話を聞いていたなら、ハッキリしやがれと騒ぐだろう。
それほどに足りない言葉で、2人は話すのをやめた。
一線で結ばれた視線。
2人は声を殺して、それでもクツクツと笑った。

「ありがとう、伯約」

憑き物の落ちきった顔に、今日1番の笑顔を浮かべたは、そのまま姜維の胸にもたれかかった。
これで部屋に戻るんだろうと踏んでいた姜維は、慌てての顔を覗き込んだ。
は目を閉じていて、薄明かりの部屋で、マツゲがその細い影を揺らしていた。
笑んでいるのだろうか、柔らかい表情で。
思わず、姜維はふきだした。
そうして一瞬間迷った後、の身体を寝台へ横たえ、かけ布をそこへ重ねた。
が少し身じろいで、すぐ規則正しい寝息を立て始めると、自分は厚手の布団に包まって、姜維は長椅子へ身を沈めた。

「お休み、







やだこれ、とても恥ずかしいですね。気のせいですか。
ちょっと姜維に夢を見すぎな管理人が垣間見垣間見。
次あたりに姜維の独白を入れたい。