小走りで鍛冶屋の前まで来たは、そこでしばらく息を整えていた。
周りには呂蒙も陸遜も、また他の密偵と思われる気配も無い。
"連れ去られなくて良かった"と、今更思った。
近いうちまた会うだろうと予言した呂蒙や、想像以上の暴君っぷりを発揮した陸遜を頭から消し、戸を叩いた。
黄忠以上に嗄れた、細い声がして、ゆっくりと戸が内側から開かれた。
そこに立っているのは、すっかり白髪になった赤ら顔の老人、名工・照尖。
は、その字を呼んだ。
「封峰さま、覚えておいでですか?です。玄徳さまのお言い付けで参りました」
「おうおう、憶えておるとも!よう来なさった。"暴君"は研ぎ澄まされておるぞぃ!!」
ニッコリと笑ってを迎えた照尖は、大きな手でその肩を叩いた。
しかしその意味が分からず、は照尖の言葉をそのまま繰り返した。
そこで思い出したように、劉備から預かった書簡を手渡す。
照尖は、すぐに封を解いて広げた。
短い手紙だった。
読み終わると、ブツブツと何か呟いてからしばらく黙り込んで、難しい顔をしている。
しかしようやく考えがまとまったのか、"文の内容を伝えておこう"と言って、話し出した。
「・・・まずこの武器。これはが城まで持ち帰り、玄徳殿に渡すこと」
そう言いながら、照尖はの身の丈よりもまだ長い箱をよこした。
深い緑色の紐で美しく封じられたそれには、何かしら力が漲っている気がして、は書簡と同じ様に、大切に抱いた。
それを確認すると、照尖は奥の部屋でゴソゴソして、また戻ってきた。
「武器の由縁を城で説けだと。さぁ、行こうかね」
灯りを消して、少しばかり服装を正してから、照尖はと連れ立って家を出た。
何の問題も発生していないはずなのに、突然臨時召集の銅鑼が鳴った。
城中に響き渡ったその音に、将軍達はあわただしく謁見の間、兼玉座の間へ駆け込んだ。
そこは城の玄関口のようなもので、"間"というよりはむしろ広場だった。
玉座の前に居ると照尖。
の腕にある立派な箱。
将軍達はざわつきながらも整列し、恭しく頭を垂れた。
玉座に座る劉備と傍らの諸葛亮が一礼を返す。
この中で1番粗末な衣服を着けた照尖は、何にも物怖じせず口を開いた。
「照封峰、参りましたぞ」
「おお、足労頂いて申し訳ない。・・・、封を解きなさい」
劉備に促されて、は紐を解いた。
滑らかなその紐は、結び目を解くと簡単に取れた。
の手に垂れたその紐は照尖に渡り、美しい朱塗りの箱が開く。
金箔が眩しく閃いた。
「それこそ、破天桀紂ぞ」
箱を地に置いて、が中のものを持ち上げると、雄雄しい声がした。
太く、威厳をも感じさせる声。
聞いたことがないと思ったら、その主は隣に居る照尖だった。
刃物のような鋭い視線とその声は、あの人の好い爺さんと同一とは思えない。
周囲がざわついた。
もちろん、照尖の豹変にではない。
視線は、の手にある武器に注がれていた。
以外は全員、照尖の言った意味が理解できているようだ。
「春秋戦国を収めし秦の皇帝があらゆる技法を以って作り上げたるがこの破天桀紂。
桀とは夏王朝最後の皇帝。紂は同じく殷の。共に暴君の典型と称される」
照尖は朗々と続ける。
なんだか別の世界に来たような雰囲気だった。
「他に比類なき暴君の名を冠するこの武器。
その姿は偃月刀、刃を据えかえれば槍となり、柄をねじり固定を解くと刃付きの連節棍と化し、
柄の先の金具を倒せば鎖が伸び、鎖鎌へと姿を変える。
・・・しかしあまりに特殊な使用法、その動作により、誰一人、この皇帝たちをまことに飼いならすことはできなんだ。
主のおらぬまま彼らは漢王室に伝わり、一度は呂布に、との声もあったが、あの暴威でも駄目だった。
2人には勝てなんだ・・・」
周りの武将が息を呑んだ。
その瞳に在るのは、皇帝への畏怖だ。
そしてもちろんも、それに見入っていた。
まるで本当に、2人の皇帝がそれに宿っているかのように、鋭い刃が光っていた。
しかし何故彼らが、ここに。
「そして漢室の衰亡と共に主従関係を解消したワシは、このまま皇帝が失われてしまうのが残念で、
勝手に持ち出して隠居したのだよ。
使う者も、用のある者もおらぬゆえ、誰も気付かなんだ。その後、竹馬の友・漢升の仕える玄徳殿にこれを託した」
箱の中には、確かに槍になりそうな短剣が入っていた。
はそれを手に取り、劉備と向き合った。
劉備はゆっくりと頷き、立ち上がった。
「この蜀を支える戦女神の武器として、それこそ相応しい。
お2人は、、お前に仕えるべくしてこの世に蘇ったのだ」
呆けて自分を見つめるの肩に、両手を置いた。
「世に復とない暴君を従えて、これからも私達に勝利をもたらしてくれ」
朗らかな笑顔だった。
乱世を駆けるには、優しすぎる。
それに応えて笑顔を見せたは心底嬉しそうに、必ずや、と誓った。
"身に余るお言葉"と言ったの瞳は、少し涙ぐんでいた。
皆がそれに和んで、が頭を撫でられたりしているうち、躊躇いがちな劉備の目が照尖と合った。
照尖はもう元の好々爺に戻っていて、劉備にニヤと笑った。
「破天桀紂の由来を語れなどと回りくどい。そら、もう準備はして参りましたわい。
この照封峰、今これより蜀漢に仕えましょうぞ!!」
照尖は自分の大荷物をちらと見ると、こぶしを前にして、丁寧に礼をした。
劉備も、丁重に返した。
それにいち早く反応したのは黄忠で、2人は早速、今夜酒を飲む約束をしている。
は劉備に断ってから、暴君を箱へ納めた。
そこへ1人の女官がいそいそとやってきて、諸葛亮に耳打ちした。
どうやら客人らしい。
劉備が応じると、諸葛亮は開門を命じ、将軍達はそこに残り、玉座に通じる道を挟んで並ぶ。
・・・壮観だ。
衛兵によって開け放たれた門には2つの影。
赤地に金糸で細工された、いかにも高級な衣装に身を包んでいた。
2人は玉座の前に膝を折り、ふかぶかと頭を下げた。
「呉の呂子明、参りました」
「同じく陸伯言、参りました」
うふふ・・・この話は書いててとても楽しかったです。
つっても武器の説明だけですが。うん、変な武器造るの好きですよ。
あと、黄忠・照尖ペアにやられている自分がさいこうにすきだ(しっかり)