劉備やその将軍達の前にひざまずいた陸遜の目が、ある所で止まった。
偶然斜め前方にいた女、
礼を終えて、顔を上げるのを許されたとき、ちょうどのその腕のものが目に入ったのだった。
の背よりも余程大きく立派な造作のその箱は、名を書いていずともその中身の価値がうかがい知れる。
作者もそれを承知の上らしく、その蓋には"双帝"と彫られていた。
朱塗りに金細工、そして金の"双帝"の文字。
最も高貴と言われる色をその箱に、そして帝などと冠された武具。
未だかつて、そのように恐れ多い武具は唯一。
呂蒙もそれに気付いた様子で、含みのある目で陸遜を見、話し出した。

「先ほどはどうも、戦女神さま。・・・やはり照尖老師もおいでだったようですな」

ちら、とそちらの方を見た呂蒙は、小汚いけれど風格のある老人と一瞬間視線を繋ぎ、それからをもう一度振り返り、笑った。
あの四半日もしないような遣いの内に出会ったのか、と劉備や他の将たちがを見た。
当のも照尖をちらりと振り向くと、全員にうなずいた。
確かに会い、話したと。
「戦女神様の手の武具、漢室から失せたかの破天桀紂とお見受け致します。
よもやこの国が隠し持っていようとは・・・これなら彼女も、この交渉の価値も、さぞ高まりましょうな。
まずはこの書簡、大都督周公瑾からの上申にございます。どうぞ、ご精読くだされ」
どういう事だ、と問う視線にも気付かないふりをして、呂蒙は懐から書簡を取り出した。
それを陸遜が受け取り、劉備に差し上げる。
下げた頭より高くにあるそれをつかむと、劉備はその封を解き、一息に開いた。


綴られた細い短冊状の、木簡特有の音がする。
立ち上がり、呂蒙の隣に戻る陸遜の瞳と、の視線がかち合った。
に、と微かな笑みを浮かべた陸遜から逃げるようにして、はすぐに顔を背けた。
その陸遜はと言えば、笑ったのも一瞬、何も無かったかのような顔でもとの姿勢に戻った。
年若いが自信に溢れた少年の姿から、神妙な顔つきで書簡に目を走らせる劉備へ視線が戻る。
周瑜からだというその短い文は、いくら精読といえど、内容理解までそう時間は掛からなかったようで、
しばらくすると劉備は不機嫌そうに眉根を引き寄せて、書簡を後ろに控える諸葛亮へ寄越した。
彼にしては、いささか乱暴な動きだった。
"どういう事だ"と、今度は声に出して、静かに言う。
ざわ、と木の葉が不安げに揺れる。
呂蒙と陸遜は訳知り顔で、蜀将たちは困惑した顔で、次の言葉を待った。

「呉との共闘要請までは分かる・・・。
しかし雲長と姜維、それにまでも先立って呉に送れとは、一体どういう了見だと聞いておる!!」

赤い2人を強く睨み据えて、肘掛に拳を叩き下ろした。
確かな怒りを含んだその荒々しい声。
一瞬ビクリと身体を震わせ、は劉備と諸葛亮、そして呉の智将を順番に見比べた。
・・・劉備の言っている意味が分からない。
表情からは何も読み取れない。
しかし呉との共闘といえばやはり・・・いや、確信は無い。
でなくともこれはあくまでゲームの世界、正史ではない。
現に、姜維や陸遜が既に重んじられている・・・何が起こるかはわからない。
一言も聞き漏らすまいと、が集中力を高めた直後、口を開いたのが呂蒙だった。

「・・・だからこちらからは姫とこの子明、そして黄蓋を蜀へ送る、と申しておるのです」

静かな声だった。
軍師たるに相応しい表情、鋭い視線。
けしてうろたえることなく、呂蒙は劉備と相対していた。
「しかし、いくら信頼関係の樹立の為とはいえ、これではまるで人質ではないか!!
ましてはまだ慣れきっておらぬというに・・・ただ単純な交換条件では済まぬぞ」
言っているうちに次第に平静を取り戻したと見える劉備は、しかしまだ目を光らせていた。
必死に呉の、美周郎の本意を読み取ろうとする。
しかし、あの深い思慮を漂わす瞳の奥にあるものを正確に汲むのは、常人には不可能というもの。
劉備は諸葛亮の意見をあおごうと、振り返った。
頼みの綱の臥龍はと言うと、いつも通りのポーズを決めて、すっと前に出た。

「・・・南下する魏に対しての策・・・折を見てこちらから、と思っておりましたが、先を越されたようですね。
しかしかの美周郎も、どうやら何か急いでいるご様子。
先立っての人質など意味は図りかねますが、万に一つ軽く扱われ、まして害されることはありませんでしょう。
・・・そうですね?」
自分達を値踏む様に細めた諸葛亮の眼を真っ直ぐ見返して、呂蒙は頭を小さく下げて、肯定の意を示した。
片目を薄く開いただけの龍の有り余る力は、それでも強い圧迫感を以って、2人に届いていた。
かたまりかけた寒天の中に居る様な、まるで息の止まるほどの閉塞感。
ここは敵国のど真ん中なのだと再確認した。


「・・・よかろう・・・部屋を用意させる。決が下るまでしばらく滞在なされよ」
早くこの謁見を終わらせたかったのか、劉備が畳み掛けるように言った。
2人の返事を待たずに、女官を呼び寄せる。
自分達を促す女官に何の抵抗も無く、城内に消えた呉の智将たち。
この申し出が断られ、もしくはここで殺されることなどあるはずも無いという、妙な自信に満ちた顔だった。
それを見送り、完全に見えなくなってしまうと、将たちが次々と劉備に詰め寄った。
呉との共闘とは、人質とは、いかなることか。
温厚な劉備を激昂させた言葉とは、一体。
疲れたように溜息をついた劉備に代わり、諸葛亮が口を開く。

「南下への意志をちらつかせる魏に対して、呉から共闘要請を受けました。
長坂における魏の失態、そしてそれよりもの参入が大きな理由でしょう。
蜀に絶大な戦力が加わったことで、呉の策は私の予想よりも早く日の目を見た・・・」

羽扇で隠れたままの口元で言った。
そして指名を受けた関羽・姜維・を順に見る。
3人とも、もしそのまま蜀から失せては多大な支障を来たす人物ばかり。
しかし呂蒙たちの考えているであろうとおり、断れるはずも無い。
その3人はひときわ緊張した面持ちで居た。
「受け入れるしかないでしょう・・・これで魏に大打撃を与えることが出来るなら、復とない好機」
諸葛亮がそう言うと、ホウ統もそれに同意した。
そして最後に、実際呉に赴くことになる3人も、覚悟を決めた様にうなずきあった。

臥龍・鳳雛・軍神・麒麟児・戦女神。
威光輝く異名をとる彼らが揃ってしまえば、後は簡単だった。
呂蒙と陸遜に文を持たせて帰すのは明日にして、謁見は終わった。


そして数刻後、丞相府では周瑜への文の作成作業に当たる諸葛亮と姜維。
姜維は不安げな声で、その師を呼んだ。

「・・・あの、丞相」







うひー、劉備たんが怒った・・・!!
しかしここまで見事に史実を無視し続けると、もうどうでもよくなりますネ(こらっ!!
えへへ、次は蜀の軍師フルスロットルだぞぉぉ!