「此度の共闘要請、丞相はどうお考えですか?」
暗い表情で、姜維が問うた。
おそらくは、何か引っかかると言いたいのだろう。
諸葛亮自身もそう感じていたようで、彼は弟子の鋭さにうなずいた。
しかし諸葛亮は、姜維に"何故か"と聞き返す。
姜維は少し躊躇ったあと、ゆっくりと口を開いた。
「・・・私には、人質条件に意義があるとはどうしても思えません。何か呉には特別な思惑があるように思えるのです。
それが何かは、残念ながら私には分かりかねますが・・・」
「いやぁ、流石は麒麟児、よくそこまで分かったもんだよ」
丞相府ではあまり聞かない声が言った。
それが"よっこらせ"と続いて、声の主が姿を現す。
鮮やかな紅の窓格子をガゴンと無理に取り外し、ひらりと部屋に舞い込んできた。
手には酒壷と蒸し器。
また厨房からくすねて来たのだろうが、今夜は料理人たちに見つからなかったようだ。
その証拠に、彼の手は赤くなっていなかった。
柔らかな衣をなびかせて、何事もなかったかのように壁にもたれた。
「しかしまぁ美周郎の考えを全て理解するには、まだちょっと経験が足りないようだがねぇ」
そう言って、壷から直接酒を煽った。
「士元・・・窓を外して入ってくるのはいい加減やめてください」
諸葛亮の溜息は無視で、ホウ統は笑った。
格子を外すにはそれなりのコツがあるそうで、何故かホウ統にしか出来ない。
"だから良いだろうよ"と続けた彼は、蒸し器を差し出して、食うかと訊ねた。
それを適当にあしらってから、諸葛亮は書簡に向き直る。
ホウ統も、更に叱られる前に格子を元に戻すと、余った椅子に腰を落ち着けた。
酒も蒸し器も別の机に置いたホウ統と、姜維の眼が合った。
「・・・士元も、やはりそう思いますか・・・少々、面倒なことになりそうですね」
丞相の政務など手伝わされてはたまらない、と丞相府の周辺にさえ寄り付かないホウ統が、
わざわざ酒と点心というお気に入りのくつろぎセットまで抱えてきたのは、そのため。
あの文に見逃せない違和感を覚えたのは、ここに居る3人だったのだ。
そしてそのうち臥竜鳳雛は、百戦錬磨の軍師の眼力、とでも言うのか、確かに周瑜の隠れた考えを掴んでいた。
ホウ統はちらと姜維を見ながら、"さぁどうするね"と呟くように言った。
目配せをされた当の姜維は、もちろん訳も分からずに、その師に助けを求めた。
「・・・姜維、あなたの言う通り、呉の真意は信頼関係樹立にはありません」
「ならば一体何が目的か、ちょっと考えれば分かるさね」
4つの鋭い瞳が姜維をとらえた。
しかし姜維はたじろぐことは無い、黙って思考をめぐらせる。
呉が出した2つの要求・・・共闘と、人質。
そうまさしくその人質条件というのが、奇妙なのだ。
「ま・・・まさか・・・いや、そんな。丞相、ホウ統殿・・・!」
青ざめた顔で、姜維が呻いた。
脳裏をよぎった不吉な考えは、もう消えることなく、彼の頭から出てゆきもしない。
確実な不安が、姜維の中で膨らんでいった。
まさかそんなこと、ありえない。
嘘だ、自分の勘違いに過ぎないと思いたかったが、諸葛亮やホウ統の冷静な眼光が、それも許さない。
"殿の義弟・関羽殿に対し、古参・黄蓋" ホウ統が謡う様に言った。
そして決められていたことの様に、ついで諸葛亮が"私の弟子・姜維に対し、周瑜に次ぐ軍師・呂蒙"。
ここまで言われると、厭でも認めざるを得ない。
姜維は苦しげに"呉帝の妹・孫尚香に対し・・・、だと"と呟いた。
まだ蜀へ、この世界へ来て1ヶ月経つか経たないかの。
それなのにもう、戦乱の謀略に巻き込まれようとしている・・・。
への同情よりも、まるで容赦の無いこの世の中に、憤りを感じずにはいられなかった。
2人も同じ気持ちで居るようで、しかし長年の慣れとも言うのか、そのまま話を続けた。
「しかし尚香殿に比べ、にはここに肉親も無く、ひと月という短い期間のこと、
切っても切れないほどに蜀に根を張っているわけでもない。
どちらかと言えば、むしろ星彩殿か月英が妥当でしょう・・・しかし、呉はそうしなかった」
諸葛亮は下を向いて、周瑜からの文に目を落とした。
怖いほど青白く、淡い、月明かりと灯燭の橙。
正反対の光に照らされたその白い顔はある種妖艶で、それで居て不気味だった。
それがさらに、不安を掻き立てる。
完全にあらわになった呉の本意。
やっと描かれた天下三分をすぐにでも打開し、両敵国を撃破してしまおうと。
・・・そのために、早期決着のために、呉に必要なもの・・・新たなる、そして絶大なる、戦力。
「が現れたことで、私の計画も、蜀の天命も変わりつつあるようです・・・ゆっくりと、しかし着実に。
針路を変えて動き出してしまったものは、今更もう止めようがありません。
天意に対し、我々はあまりに無力です」
「神霊獣に例えられるようなあっしらでも、これだけはねぇ・・・不甲斐無いこったよ」
どうしようもなく天に従うしかない、たかが人間。
どうしても覆すことの叶わぬ、天命と言う名の残酷。
自分達が仰いでいる天は、不幸の大群を率いてを攻め落とす気ではなかろうか。
蒼天を汚すような思考に一瞬でもとり憑かれた姜維は、2人の視線に気付いてハッとした。
咎められるかと思ったが、諸葛亮やホウ統の顔はどうも違った。
双方とも、をまるで娘の様に想っている・・・姜維と同じ気持ちで、居た。
いつもと同じようでいて、しかしどこか、ほんの微かに暗い影の出来た2人の顔。
あまりに重い雰囲気の中で"頼みましたよ"と、諸葛亮は独りごつように呟いた。
その言葉から滲み出る、隠しようのない辛さを受け止めて、姜維は、出来るだけしっかりとうなずいた。
全て知った上で守れるのは、自分しか居ないのだ、と・・・。
翌朝、よく晴れた空は、諸葛亮たちの不安をあざ笑うかのように、太陽を抱いていた。
城門内には、身支度を整えた関羽・姜維・、そして陸遜。
あともう1人、特例で許された付きの女官・葵花。
彼らには1頭ずつ馬があてがわれ、その両脇に荷が提げられた。
蜀に残る呂蒙は陸遜と目で会話をして、後ろへ下がった。
変わらず落ち込んだ表情を隠しきれない武将達に耐えかねたのか、が"いってきます"と大声で叫んだ。
小さな子が、ちょっとそこまでお使いに程度の口調で、不安を微塵も感じさせないその声は、
何故か綺麗サッパリ、蜀将たちの心配を吹き飛ばしてしまった。
見送りに出てきた武将達から、次第に笑みが漏れ出し、ついにはちょっとした祝い事でもあったかのように、
を取り囲んでワイワイやりだした。
折角綺麗にまとめた髪をグシャグシャと撫でられて、慌てたのは葵花だけで、は安心したように声を出して笑った。
この光景を見て、誰がいまから敵国へ向かう直前だと思うだろうか。
打って変わって明るい雰囲気の中、ひらりと馬に飛び乗ったは、大きく手を振って出立した。
ただ姜維だけが浮かない顔で、何か含みのある陸遜の眼に、注意を払っていた・・・。
ヤッフォーォォイ蜀軍師会議開催だー!!!
どうしても書きたかったんだこの話。
もうほんと、これだけで既に満足感を得た(駄目だこいつ・・・)